タイトルの通り、僕は旧帝大卒です。しかも理系です。
普通なら、それなりの企業で働いていたり、または大学院に進学して日々研究に勤しんでるでしょう。僕の同期はほぼ全員そうです。
しかし、僕は大学卒業後、実家近くにある小さな工場で派遣として働いている現在です。
では、なぜこうなってしまったのか、なぜ工場でしかも派遣で働いているのかということについて書いていこうと思います。
Contents
就職浪人後に暇になったから
実は僕は就職浪人をしました。
理由は、
・大学4年時に就職活動をしていなかったから
・研究室から一刻も早く抜け出したかったから
・なんとなく就職浪人を経験してみたかったから
という3点の理由からです。
当時大学4年で研究室にいた時は、研究室に行くのが嫌で嫌で仕方なく、滴状乾癬を発症するぐらい思い詰めていました。
しかし、大学院に進む予定だったので就活はしておらず、八方塞がりでした。ただ、あと2年間我慢するなんて頭がおかしくなりそうだと感じたので、思い切って卒業後に就職浪人しました。
就職浪人についての話は割愛しますが、無事に夏ごろに内定を得ることが出来、苦労しましたが就活は終えました。
就活を終えた後、丸半年以上ヒマになったので、何かいいバイトがないか探していました。
そして、とあるコネにより近所の製造業の工場で働くことになりました。これが旧帝大を卒業後に工場で派遣バイトをしていることの実態です。
楽だと聞いて始めたがなかなかきついのが工場バイト
なんで工場バイトを始めたかと言うと、楽と聞いたからでした。
僕がやる仕事は梱包作業(主に包装)だったので、仕事さえ覚えれば何も考えずに黙々とできると聞き、「それなら楽じゃん」と思ってなんとなく始めました。
しかし、やってみるとこれが結構しんどい。
僕が働いているのは自動車の部品を扱う工場だったのですが、部品を梱包するのって結構大変。部品も重いものがあり、腰が痛くなる。
何より立ちっぱなので脚がめちゃくちゃ疲れる。同じ作業の繰り返しなので飽きる。工場の人達とあまり会話がかみ合わないので、精神的にも疲れる。
僕みたいな、勉強ができる人たちが集まる環境にどっぷり使ってきた人間にとってはかなり戸惑う環境です。
これは文化や考え方が違うからでしょう。工場内ではあまり会話がありません。見て覚えろ、やって覚えろ、それ以前に作業が出来て当たり前の世界です。
会話による情報伝達があまり無いんですね。高校や大学ではいろんなことを話し、議論してきたのでこの環境には戸惑いました。
口よりも行動で示す、って感じです。喋ってるヒマがあったら作業を早くする努力をしろと、暗に示されている感じ。
工場で肉体労働に加えてこういった環境によるストレスもあるので、仕事後はかなりグッタリです。
工場バイトを始めてから体重が3kgも落ちました。
そもそも大卒の人がやる仕事じゃないですからね。でも、なぜ僕が工場で派遣で働くことを続けているのか。その理由もお話しします。
多くの人がやらないようなことをやってみたい
僕は他人が絶対にやらないようなことをやってみたいという気持ちが強いです。他の人と同じような人生が嫌だという気持ちが強い。
旧帝大のような、偏差値が高い大学を卒業するような人が、工場で派遣として働くことってあるでしょうか?
僕の大学の同期の顔を思い浮かべてみると、そんな物好きなことをやりそうな人は一人もいません。「頭がおかしいんじゃないか」と、同期には言われそうです。
しかし、その「おかしい」ことをあえてやってみるのも、面白いんじゃないか。と、僕は思ってしまうのです。
今の状況、明らかにおかしいですが、そんなおかしい状況でも僕と言う存在は変わっていません。
意外と変な状況でも生きていけるし、良い経験をしているとさえ感じます。
浪人と言う時間は、自分を見つめなおせる時間になりうる
僕は受験浪人もしてるので、就職浪人と合わせれば2年も浪人をしています。
確かに浪人にはつらい面もありますが、自分のことを見つめなおせるというメリットも感じています。
ストレートに大学に受かり、卒業し、就職していたら気づかなかったことがたくさんあると思います。
それがこの先の人生でいつ活きてくるのか、どういう影響をもたらすのか分かりませんが、僕は浪人して良かったと思っています。
我慢して研究室で消耗するよりは、こうやって通常なら出来ないバイトをし、ブログを書いたり筋トレをしたり、資格の勉強をしたりする。
多分こうやっていろいろ迷える時間はこの先少ないと思います。
話が工場の派遣バイトから大分脱線してしまいましたので、この辺で終わりにします。
最後までお読みいただきありがとうございました。